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パソナライフケアの仕事と介護の両立支援ブログ

in Action

ボロボロの乳母車(うばぐるま)

2016年10月28日

こんにちは、ケアボスです。
高校野球好きの私にとって悲しいシーズンオフの時期が迫ってきました。

アウト・オブ・シーズン

日本高等学校野球連盟(いわゆる高野連)の規定によって定められた対外試合が出来ない期間のことをアウト・オブ・シーズンと呼びます。
その期間は12月1日~3月19日までと定められていますが、学校の授業や行事に差支えがなければ3月8日から対外試合を行ってもよいことになっているので、一般的には3月8日が対外試合解禁日と考えられています。
それにしても高校野球好きの人にとってこの3ケ月余りもの期間、練習試合すら見られないのはつらいですよね。

アウト・オブ・シーズンに入る前の最後の大きな大会が11月に行われる神宮大会です。全国各地区の秋季大会優勝校10校が出場する全国大会です。
私も毎年観戦していますが、かなり冷え込むので、観戦される方は暖かく着込んで行って下さいね。

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(2015年11月の神宮大会。有名人「ラガーさん」もバックネット裏から熱視線を送られていました)

 

要介護2の父の現在

前回のブログで、父が現在「要介護2」で歩行困難な状態であるものの、自立歩行ができるよう様々な運動に取組んでいることを書きました。
先日の日曜日に実家に電話をかけ、その後状態が改善しつつあるかの確認をしました。週に2度のデイケアでのリハビリもきっちりこなし、自宅でもペダル漕ぎは欠かさないようなのですが、まだ改善にはほど遠いという話でした。
しかし大切な良くしたいという「意欲」が継続されているので「まだ運動を始めて2ケ月だから仕方ないよ。引き続き地道に運動を頑張って筋肉を付けていこうな」と声をかけました。

 

父が行った40年以上前の「仕事と介護の両立」

父とは今でこそ色々と会話をするようになりましたが、幼少期や青年期はほとんど会話をしたことがなかったです。
父は元々無口な上、私は母との相性の方がよかったのでもっぱら母とコミュニケーションを取っていました。教育に関しても父からは何にも言われたことがないので、父の背中を見て学ぶこと以外、直接父から教わったことは多くはありません。

そんな父との関係でしたが、10歳位の時、父の行動からひとつの大切な教えを受けました。私は鮮明にその時のことを記憶していて一生忘れることはありません。その話を書きたいと思います。

父は幼い時に父親(私の祖父)を亡くし女手ひとつで育てられました。そのためか、とにかく母親(私の祖母)のことを大切にしていて優しい声掛けをいつもしていました。その私の祖母が高齢になり介護が必要になったのが、私が10歳位の時でした。

父は四国の出身で5人兄弟の末っ子です。祖母は介護が必要になった時は生まれ故郷の四国に住んでいました。そのまま故郷で介護を受けて余生を送ることが一番の幸せかも知れませんが、色々な事情があり他の兄弟で祖母の面倒が見られないということになったのです。40年以上前のことなので、介護保険制度があるわけでもなく家族介護が当たり前の時代。従って誰が祖母の介護を行うのかということになった訳ですが、父は何の迷いもなく関西にすぐに祖母を呼び寄せ、自宅の2階に寝かせて介護を始めたのです。

父はもちろん働いていましたが、仕事以外の時間の多くを祖母の介護に充てていました。今のように在宅介護を支える制度が充実していたわけでもないため、父がいない時は一家総出でサポートをしていました。いわゆる「下の世話」も両親が行っていました。

 

ボロボロの乳母車から学んだ「優しさとは」

皆さんの中で昔の乳母車が頭に浮かぶ人はどの程度いるでしょうか。コンパクトに畳める今のベビーカーとは違い、結構な大きさがありました。

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(昔の乳母車はこんな形をしていました)

それは父の散歩に付いて行った時のことです。今でいう大型ごみとして捨ててあったボロボロの乳母車を見て「いいものがあった。これを持って帰ろう」と言いました。捨ててある乳母車なので当然ボロボロです。私は何に使うのかな~こんなボロボロの乳母車を・・・と思った記憶があります。

父は、持って帰った乳母車の汚れを丁寧に落とし、そして錆のある部分などはペンキを塗って、破れた部分は補修して普通に使用できるレベルに復活させたのです。

 

「お母さん、夕陽がきれいよ」

そしてその完成したその乳母車に祖母を乗せ、近所をゆっくりと巡ったのです。私も付いて行きました。
父はその際、祖母の顔を後ろから覗き込みながら「おかあさん、夕陽がきれいよ」と優しく言葉をかけていたのです。
祖母が外出できる体力がなくなるまで、くる日もくる日もそれは繰り返されました。私はその父の姿を見て、人としての大切なことを感じ取りました。
今思い出しても父の取ったその行動は優しさに満ち溢れていて偉大だなあと思います。

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なんのご縁か私は今、高齢者に関わる仕事をさせていただいています。この父の教えを忘れることなく心のこもった愛のあるサービスを高齢者の皆さまにご提供してゆきたいと思っています。

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