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パソナライフケアの仕事と介護の両立支援ブログ

in Action

「老老介護、揺れる限界点」

2017年6月1日

こんにちは、ケアボスです。
5月決算の当社にとって本日6月1日は1年のスタートの日です。期の始まりに際し、今年度のスローガンを決めました。それは「変化適応力」です。
変化に「対応」するのではなく、能動的な表現「適応」を用いました。世の中の変化を鋭く感じ取り、それに適応する力を従業員一同で発揮する1年にします。

さて、このブログではこれまでに幾度となく父が直面している介護について書いてきました。
早いもので最初に介護認定を受けてからこの夏で丸8年が経ちます。介護の平均期間は4~5年と言われていますので、その約2倍の年月が経過したことになります。今回は遠距離の実家で暮らす両親の現在について書きたいと思います。

 

老老介護・遠距離・家族の関わり          

両親は兵庫県の実家で暮らしています。千葉に住む私とは遠距離です。
父は要介護2で87歳、母は84歳で介護認定は受けていないものの足が悪く歩行や長い時間立ち続けることが難しくなってきています。
幸い両親に認知の症状はないものの、かなり不安な老老介護の家庭環境となっています。
私が心がけていることは、頻繁に電話をして実家の状況を聞くことや、最低でも2ケ月に一度は帰省し実際の様子を観察することなどです。
父は週に2回のデイケアを楽しみにしていますが、その外出以外は居室の椅子に座ったままです。

 

 

母の体力が限界に・・

母は自分のことも十分にできなくなっているにも関わらず、父の食事や投薬等、身の回りのお世話を欠かしません。
これまでの習慣を手放すことの決心がなかなかつかないのだろうと思います。しかし献身的に尽くしている母の体力に限界がきていることは明らかで、老老介護の限界をここ数ケ月感じ続けています。
老老介護は、介護される側も介護する側も身も心も疲れ果て我慢し続けると共倒れしてしまうことがあります。なるべく早いうちにこの環境を変えてあげなければと思っているため、今後の生活について何なりと希望を言ってきて欲しいし息子を頼ってもいいんだよと、そのことだけはいつも伝えていました。

 

 

両親が出した結論「千葉への移住」

5月のゴールデンウィークに母から1本の電話が入りました。
「もうお父さんの世話が限界。近く(千葉の私の家の近く)でお父さんの入る老人ホームを探してくれないか。私はその老人ホームの近くで家を借りてひとりで暮らすから。お父さんの世話さえなければ何とか自分だけならまだ暮らせるから」という内容で、息子の住む千葉に移り住むことの決断でした。
電話口から聞こえる母の声は弱りきっていました。話を整理して何度も確認をしました。今まで住んだことのない環境で暮らすことが高齢者にとってどれほど負担になるかなどの話もしましたが決心は固く、私はゴールデンウィークを使い近所のいくつもの施設を見学して回りました。
父親の希望はリハビリの出来る老人ホームが良いとのことで、ようやく希望に沿う施設をひとつ見つけだすことが出来ました。年金とこれまでの蓄えなどから施設に支払う費用など条件面もクリアしました。
そして入居申し込み書を書き、いざ契約に向かおうとした時、父からそしてその後母からも電話が入りました。どちらの口からも「もう少しふたりで頑張ってみる。せめて来年の春までは頑張ってみる」とのことでした。
両親が移住を希望したにも関わらず、本人たちの口から出たのはためらいの言葉でした。揺れているのだろうなと心が締め付けられる思いがしました。

 

両親の迷いと老齢期の喪失体験

老齢期になると人は様々な喪失体験をするといわれています。
「衰えによる心身の健康」「子供の自立による子育て」「定年退職や家族・友人の死別等による社会や家族等との接点」「経済的自立」「生きる目的」等、少なくともいくつかの喪失を体験するといわれています。
当初両親から申し出のあった「千葉への移住」は、確かに両親が出した結論ではありましたが、いざそのことが目の前にやってくると、ふたりでこれまで暮らしてきた「生活」や、思い出の詰まった「家」や「環境」、これらを喪失することがたまらなく寂しかったのではないかと思えました。
来春まで今の老老介護が維持できるのか?といえば息子としてそれは不安でたまりませんが、両親に流れている時間のスピードに合わせまずは現状維持を支援していきたいと思います。
しかしそれも時間の問題で、いつまでも続くものではないので、これから何度も何度も話し合い、次の想定をしていこうと思っています。

電話口で母は「ごめんね。せっかくの休みを潰してしまって。施設まで探してもらったのにごめんね」と繰り返していました。
「ゆっくり考えたらいいよ。何度でも頼っておいでね」と伝えました。

 

 

 

 

歳を重ねるということ。いつかはケアボスも通る道。そして誰もが通る道。いまだに両親からは多くのことを学んでいる気がします。