▲ TOP
パソナライフケアの仕事と介護の両立支援ブログ

in Action

「介護ができるシアワセ」

2017年1月31日

2017年が明けました。と言っても1月も本日で終わりますね。ご挨拶が遅くなりたいへん失礼しました。
当社のビジョン「高齢者ライフソリューション」を胸に今年も頑張って参りますので、よろしくお願い申し上げます。

さて、『ケアボスVoice』前号「多重介護をしています」の続きになりますが、圧迫骨折をして入院した義母のその後について書きたいと思います。

私ケアボスは、私と妻のそれぞれの家族の介護について、日頃から当事者を含み話し合いを行い事前の準備を行っています。
9年前、父の介護に直面した際、事前の準備不足により狼狽した経験があるからです。
しかし事前の準備をしていてもその通りにものごとが進まないことを最近経験しました。

1

昨年11月、義母が圧迫骨折し入院しました。
リハビリをすれば比較的短期で退院できると医師から言われ、見舞いの際には退院後の暮らし方などを義母と話し、家族みんなでそのシュミレーションは共有出来ていました。
しかし順調に回復していた12月末、インフルエンザに院内で感染し、その悪化からあっという間に寝たきりの状態になってしまったのです。
高齢者にとって感染症は本当に恐ろしいものだと実感しました。
食事を摂る体力もなく点滴のみで、せん妄なのか認知症なのか、言うことが定まらず、日によっては話をすることもなくひたすら苦しそうな呼吸しかしない日もありました。

義母は関西に暮らしていて私たちとは遠距離です。
妻はすぐに関西に向かいずっと寄り添っていましたが、一向に良くならず、一時はそのまま息を引き取るのではないかという状態にまでなってしまい、妻から泣きながらの電話が毎日入りました。

その時に思ったことがふたつあります。

事前の準備をいくらしていても、このように想定外の事態に直面することがある。よって想定外の事態が起こることも想定に入れた準備をする必要があるということ。

もうひとつは、「介護をすることは大変」なことかも知れませんが、介護すら出来ずお別れする悲しみに比べたらそれは大したことではないということ。「せめて介護をさせて下さい」そう天に願いました。 介護ができることは実はとてもシアワセなことなんだと心から思えました。

妻は1日だけ自宅に戻りましたが、とんぼ返りで再び関西へと向かい妻と妻の妹が10日間ほど義母に付き添いベッド脇から話しかけ続けたそうです。
その甲斐あって少しずつではありますが回復していきました。

次なる行動として考えたことは、「義母を自宅近くの病院に転院させる」ということです。延々と私たちの家庭を放っておくわけにもいかず、義母のそばにもいてあげたい。
その両立に立ちはだかる壁は関西から関東までの500kmにもおよぶ距離でした。義母はインフルエンザの罹患時に寝たきりだったので体力は弱り、起き上がることはできません。つまり寝たままで移送する必要があるのです。

このお手伝いをしてくれる民間のサービスがあります。
関西の病院から新大阪駅まで民間救急車を使って移送し、新幹線の多目的室を使い大阪・東京間を移動、東京駅からは再び民間救急車を使って移送させるという手段です。新幹線のチケットも含めすべての手配をしてくれます。飛行機を選択することも可能です。
※西日本PAM株式会社の皆様、このたびは親切にしていただき本当にありがとうございました。

2
(兵庫県の病院から新大阪駅まで移送)

3
(大阪・東京間は体の不自由な人が使える新幹線の多目的室を使わせていただきました)

4
(東京駅丸の内南口から千葉までの移送)

5
(東京駅前の喧騒の中を出発)

介護をしていると不測の事態に直面することがありますが、介護ができるシアワセを感じながら、
大切なご家族のために様々な工夫をして乗り越えてゆきましょう。

care-